おじいの昔話

方言なのでわかりやすく意訳してます。
マサおじいのウェットスーツ伝来編
マサおじい南方編
マサおじいラッキーボール編
マサおじいのマンネンガイの話

マサおじいのウェットスーツ伝来編

 僕は小学5年生から海をやってるからよ。毎朝海から帰ってきて、魚も片付けんで学校に行って、ヤギ当番と言うのもあったから、ヤギの世話をして、それから今度は芋畑を耕して、そうしたらもう日も暮れていたよ。勉強する暇というのは無かったさ。勉強する暇があったら、もう頭が良くなって大変さ。こんな仕事はしてないはずよ。アッハッハ…

 昔はカッパ(ウェットスーツ)と言うのも無いから、冬なんかは海に行っても寒くて泳げなくて帰ってくることもよくあったさ。我慢出来ないことが多かった。我慢出来ないから、人が石灰を焼くのに使うと言って、お金を出して買った松の薪を盗んで燃やしたこともあった。これは内緒だけどよ。でも仕方が無いさなあ。あんまり寒いから、先輩に、「今にどんなに泳いでも寒くならないキモノというのが発明されるはずなあ。」と言ったら、「そんなキモノが出来たら地球がひっくりかえるさ。太陽も西から上がるよ」と笑われたよ。だけど僕は、世の中は変わっているから、そんなのが出来てもおかしくないと思っていたよ。

 初めてカッパを買ったのは26歳の時。その3年ぐらい前から、シカイトマン(*1)の友達に、そういうものが発明された話を聞いていたよ。シカイトマンの中には、早速買って、着けている人もいたから、どんなものかは分かっていた。とても高価な物だったから、どうしようかずっと迷っていたけど、もう兄弟も多いし、貧しくて追い詰められていたから、その頃僕と一緒に海をやっていた青年(この青年はもう死んだよ。ダイナマイトで自殺さ。女とわかれてよ。)に、「海の中でも寒くないキモノが発明されたけど、一緒に作らないか」というと、「にいさんが作るんなら僕も作る。」というから、早速50ドル借りて、注文したよ。50ドルといったらもう大金さ。見たこともないお金だよ。だけど、永らく考えて、これなら間違いないと思っていたから心配はしなかった。

 注文して、20日あまりも経ったけどなんの知らせも無いから、バスに乗ってお店に行ってみると、「もう一週間も前に出来ていたよ。だけど連絡もつかないのに。ただあんたが来るのを待っていたよ。」と言われたよ。あの頃は電話と言うのもないから。それで、カッパは浮く力が強いから、重りも必要と言うのは知っていたので、網に着けるみたいな丸い重りをロープに通してベルトにして、ちょうど7斤半(4.5キロ位)買って、全部で55ドルかかったよ。

 さあ、もうその日の夕方から、白保の船着きのところで、カッパを着けて泳ぐ練習さ。相棒は家に重りを忘れたと言うから、「じゃあ行って取って来いよ。僕はちょっとフタナカ(*2)から泳いで来るから。」と言って、相棒が重りを取りに行ってる間にフタナカまで歩いて行って、船着きまで泳いで来たよ。もーう全然寒くないから。たったあれだけの間で4キロ位のタコ2つと、これくらいのクブシミ獲って来てよ。そうしているうちに相棒も来たよ。先輩に船をもっているのがいたから、ダンビといってあんたなんかは見たことが無い昔の船でよ。四馬力のエンジンが載っていて、人が歩くより遅い船だけどよ。それに乗って、二気筒(乾電池が2本入る懐中電灯)を改造して三気筒にした電灯を2つ持って行ったよ。

 2時間半ばかり船を走らせて、ウルピー(*3)のワタンジ(*4)の向こう側に来て、「もういいから、この辺にアンカー投げろ。」といって、アンカー投げて泳いだよ。海に飛びこんだ時、重りをつけるのを忘れてひっくり返ったけどよ。重りもつけて泳いだら、もう大漁さ。もう見たこと無いくらいの魚さ。タコからクブシミから。あんまよー(わぉ!)。もーう、嬉しくてよ。2人とも船に上がっても笑いが止まらないさ。鼻歌なんか歌ってよ。もう一回泳いだら朝になっていたよ。それで船を走らせて船着きまで来ると、浜に部落中のウミンチュがこれを見るといって待ちかまえていたよ。みんな魚を見て驚いてよ。もう僕らはニコニコさ。

 その日の水揚げは18ドル。18ドルというのは大金だよ。そのころパインと言うのが始まっていて、パインの仕事を朝から晩までやって80セントもらえたよ。とてもきつい仕事だよ。

 それで、それからはもう毎日、日が暮れるのが待ち遠しかった。

…まだまだ続くのですが、こんなお話でした。

*1 石垣四ヶ字の街に住む、沖縄本島糸満から移り住んできたウミンチュのことです。主に明治のはじめ頃にやってきて、新川、登野城などに住んでいました。マサおじいは後からやってきた宮古(伊良部島・佐良浜)からの移民のウミンチュで、白保に住んでいます。現在では、登野城(東一組・二組)は糸満系・宮古系、新川(中一組・二組・西組)には糸満系のウミンチュが多いようです。下地・伊良部などは宮古系の姓で登野城に多く、金城・大城・玉城・上原などは糸満系の姓で、新川に多いようです。
*2 白保の部落の北にある浜の名前です。
*3 空港問題で有名なカラ岳の前あたりにあるリーフの名前です。イカグチの北側にあります。
*4 浜から沖のリーフにつながる浅瀬のことです。

マサおじい南方編

 僕は昔、7ヶ月間、南方のパラオという所に行った。南方は儲かると聞いたからよ。その頃は鰹船が流行っていて、南方で儲けてくる人が多かった。僕も一番上の子供が生まれたばっかりで、お金が必要だったので、そのころちょうど僕と同じ佐良浜(宮古の伊良部島の集落)出身の人が南方に行くと言うので僕も行くことにした。実際にはあまり儲からなかったよ。ああいうのは最初の人だけが儲かるよ。儲からなかったので情けないなと思ったけど、南方は面白かったよ。パスポートというのは僕は持っていなかった。多分船主がみんな準備したはずだけど、よくわからない。

 パラオは石垣みたいに周りがサンゴ礁の島で、海もとてもきれいかった。鰹船をつける桟橋の所でも、グルクンがこんなにおって、ベッコ(海がめ・タイマイ)からミージャー(アカウミガメ)からこんなにおったよ。この時の船長は、行きは違ったけど、途中から、今の組合長の上原亀一のお父さんの亀五郎になった。この船長がのん気な人でよ。自分であまり船を持ったことが無い人で、なにもわからんわけさー。普通、船を持ちなれん人はもっと注意してもいいと思うが、この人はとにかくのん気。こわいというのも分からんわけさ。あんなリーフばっかりに囲まれた島で、クチ(リーフの切れ目・ここから船が外洋に出たり、リーフの内側の静かな泊地に入ってきたりする)も分からないわけ。あっちは毎日スコールと言って、大雨が降る。もう必ず毎日。一日2,3回もスコールが降ることもあるよ。今日はスコールが無いという方に賭けたら必ず負けると言うぐらいスコールが降るよ。スコールになるともう何も見えないよ。島も何も見えない。それで、ちょうど漁の帰りにスコールが降ってきた。何も見えないけど、船を桟橋に早くつけたいのに、船長は人に舵を持たせて、中で眠っているからよ。僕なんかはもうこわいさ。いつリーフに乗り上げるかと思ってよ、ずうっと海を見ていたよ。そしたらよ、船がクチの所に来たのがわかった。クチのところは、周りが見えなくても、葉っぱなんかが流れてきたりして、必ずわかるからよ。それで「おい、クチに来ているよ」というけど、船長は眠りながら、「まだ走らせろ」というから、「クチに来ているったら」といったけど、船をまだ走らせているさ。もう頭にきてよ。大きい声で「おい、クチに来ているから船を止めろ」というと、ちょうどスコールがやんで、船はちょうどクチを通り過ぎて、もうあといくつ数えるうちにはリーフに乗り上げる所だったさ。あんなのん気な船長はいないよ。

 パラオの景色はとってもきれいさ。西表なんかよりまだもきれいさ。海の中に大きい岩山みたいな島がたくさんあって、これの上に木もみんな生えている。島と島の間は下が見えないくらい深いさ。日本軍の軍艦なんかも入って来たと言うからとても深いはず。ここにはガーラやサメがたくさんいた。ピー(リーフ)のとこは浅いさ。シャコガイがたくさんいて、イーグンをもった土人の人(ママ)もいたから、潜りなんかもやるよ。マンネンガイなんかもたくさんいるはずよ。

 パラオはよ、前に日本軍が占領していたから、川の岩場なんかの崖の下を掘って、そこに大砲とか機関銃なんかが捨ててあるわけ。川の周囲はみんなマングローブだよ。それで、この大砲の上にワニが座っているわけさ。パラオの土人の人なんかは、ワニ獲りなんかもするよ。ワニの肉はおいしいらしいさ。ワニを食べさせるレストランなんかもあって、僕は行かなかったけど、行った人の話ではおいしかったと言うことだよ。ワニ獲りに行く人を見たことがあるけど、電灯もぐりみたいに夜、電灯を持って行くさ。小さい船に2、3名乗って、川を電灯で照らしながら行って、鉄砲で撃って獲るそうだよ。また、いかだの上にヤギを縛って、川に浮かべてあるのもみたことがある。これを食べに来た所を鉄砲で撃ってとるはず。ワニはこわいよ。石みたいにして動かないから、眠っているかと思って、棒でつついても全然動かないから、死んでいるのかと思ってゆっくり近づいていくと、急に飛び掛ってくるから驚くよ。きっとああやって食べ物をとっているはずよ。河口のところなんかは、海の中にも水面を真っ黒くして、ワニがたくさんいるのも見た。一回は別の船から潜りに行った人がいなくなったと言うので、これはワニに食べられたと思って、ワニとりの土人の人と一緒にこの人を探しに行った。ちいさい船は見つかったけど人間がいない。この人は地面に埋められていたよ。あっちのワニは食べ物を埋めておくみたいよ。鯨もいたよ。鯨は大抵2,3匹の群れでいるから、海の中に大きな岩があるみたいに見えるさ。

 土人の人は若い人はスラッとして、男はハンサムで、女の人もとても美人なのだけど、年をとるとドラム缶みたいに太るよ。黒い人ばかりと思ったけど、パラオには、白人なんかもいて、ハーフもいるさ。中には戦争の時から住みついた日本人もいる。僕は、タクシーの運転手のおじさんと友達になって、一晩このおじさんのうちに泊めてもらったことがある。朝ご飯に豆腐が出たので驚いた。奥さんはとてもきれいな人で、ドラム缶みたいではなかったよ。

 先輩に、土人の人はとてもやさしいけど絶対に口論してはいけないといわれた。絶対に喧嘩をしてはいけない。こっちの人はみんな鉄砲を持っているから、口論していて、(相手が)いなくなったら、鉄砲を取りに行っている証拠だから、もう命が無いと。とってもきつく言われたのだけど、ある時友達が、体中傷だらけになって、血も流して帰ってきた。どうしたのか聞くと、桟橋で土人の人と口論していて、この相手が急にいなくなったみたいさ。それで、鉄砲を取りに行ったと思って驚いて、桟橋から海に飛び込んだら、潮が引いていて水が無かったので、大怪我をしたけど、もう驚いているから、ワニもいるのに海を泳いで、沖の船まで逃げてきたというわけさ。アッハッハ…。

 洗濯はあっちの男や女の学生さんなんかが通るので、洗濯物を渡して、50セントでやってもらった。あっちでは50セントと言ったら大金だけど、こっちはカツオ船で儲かってると思ってるし、ご飯は船にコックさんがいて、3食作ってくれるので、他にお金の使い道もそんなに無いから、平気さなあ。

 ジャコ獲り(鰹の餌の生き餌獲り)は、こっちと違って、夜獲った。夜獲って、朝から鰹釣りに行くわけさ。夜、船の上から袋網を下げて、その上にロープで電灯を下げていくと、小さい魚が群れして、もう壁みたいになって集まってくる。それを袋網を上げてとるわけさ。こっちでやるみたく泳いで追い込んでは獲らない。あっちは本当に魚がたくさんいるよ。それで、ベッコ(タイマイ)なんかもいるから、禁止されているけど獲った人がいた。密輸する考えだったはずよ。この人は宮古の人なんだけど、何名かでベッコを獲って捕まったわけさ。だけど、あっちの牢屋に入っている人はお金持ちみたいよ。あっちの牢屋と言うのは、ご飯も3食出て、どこかに出かけることも出来るらしい。朝ご飯を食べて、それから出かけて、あっちにはテツボク(鉄木?)という木があって、鉄みたいに堅い木で、ハンマーなんかを作ったりする木なんだけど、彫刻みたいなものも作ったりするらしい。それを作る仕事をして、それを売るらしい。昼ご飯は牢屋に帰って食べてもいいけど、外で買って食べてもいいさなあ。それで夕方に牢屋に帰ってくればいいのだけど、この人は牢屋に帰らないで、船に逃げてきた。それでこの人がベッコで捕まって、別の人も捕まっていると言うことがわかったわけさ。

 同じ船に多良間から来た赤嶺という人がいて、この人はとても大きい人で、やさしい人だったけど、酒を飲むわけさ。もう朝から晩まで。もう一人、与那国から来た人がいて、この人が、赤嶺さんがあんまり酒を飲むから怒ったわけさ。そうしたらよ、この赤嶺さんが、酔っ払って船の上からこの人を海に投げ捨てたよ。この人は骨が折れて、大怪我をしてすぐ強制送還になった。この赤嶺さんはもう死んだ。ナータの浜(石垣東海岸玉取崎近くの地名)で、自殺した。このあとしばらくして、電灯もぐりにナータに行った時、頭がものすごい痛むわけさ。それに何か腐ったような臭いもする。それで、一緒にいた仲間に聞くと、なにも臭わないというので、これは赤嶺さんだなあと思って、「赤嶺さん、今日はみんなで電灯もぐりに来たからよ、がんまり(いたづら)するなよ。今度お酒を持ってくるからよ。」といったら、頭痛も急になくなって、臭いもしなくなったよ。赤嶺さんだったはずよ。だけどあれからお酒は持っていかなかったなあ。アッハッハ…

マサおじいラッキーボール編

 海人でパチンコをやる人は多いけど、ぼくも昔やったことがあるよ。パチンコではないけど、ラッキーボールと言うのがあった。

 昔は何も娯楽が無かったけど、僕は映画が好きだったので、たまには映画を見に行くことがあった。一ドルもって、先輩の兄さんと一緒にバスに乗って、石垣の街に出かけていた。いつもこの兄さんと行っていたのだけど、この兄さんは、いつも必ず、「僕は別のところに行ってくるから、映画が終わったらここで僕が来るまで待っておけ。」といって、僕を置いてどこかにいってしまう。

 あるとき、僕が、映画が終わったので、映画館の前で待っていたら、時間になっても全然来ない。それでもずうっと待っていたら、兄さんがむこうの方から走って来て、「おい、おまえお金持っているか」というので、「うん持っているよ」というと、「ちょっと貸せ」というので、「だけどこれを貸したら帰りのバス賃がなくなるよ」といったけど、「すぐに返すから」というので、「それならいいよ。」といって貸してあげたよ。そうしたら、兄さんは僕をラッキーボールのお店へ連れて行った。僕はそのとき初めてラッキーボールと言うのを教えてもらった。これは、大きいお椀のような格好をした台の周囲に一から九までの数字が三つづつ書いてあって、へっこみがある。台の真中には羽が三枚ついたプロペラみたいのがぐるぐる回っていて、そこへボールを3つ入れると、羽にはじかれてボールが外側の数字の所に入る仕組みになっていた。ボールが入った所の数字を足した数が偶数だと白、奇数だと赤。3つとも同じ3,3,3とか、9,9,9とかだと賭けたのは全部親の物になるようになっていた。(ルーレットみたいな物?)それで僕はあまり興味が無かったのだけれど、兄さんは僕の貸したお金でラッキーボールをやって、しばらく待っていると、お金を取り返してくれて、余計に小遣いもくれたので、ラッキーボールと言うのは儲かるんだなあと思ったよ。

 それから別の日に今度は一人で映画を見に行った時に、ラッキーボールのことを思い出して、お店に行ってみた。教えて貰った通りのやり方で、赤のほうに賭けてラッキーボールをやっていると、桟橋の方から鼓笛隊の太鼓やラッパの音が聞こえてきたよ。その日が何の日だったか知らないけど、賑やかに聞こえてくるわけさ。そのお店は、今の万世館の西の方にあったのだけど、昔は建物もあまり無いし、今みたいにいろんな音もうるさくないので、桟橋の所からでも音が聞こえてくるわけさ。今のグランドホテルの所までも昔は海だったからよ。僕は鼓笛隊が好きだったので、ラッキーボールのことも忘れて飛び出していったよ。楽しいなあと思って、鼓笛隊が桟橋どおりを登っていくまでずうっと見ていたよ。そうしたら、同じ白保のおばさんが走って来てよ、「おいマサ、お前のが大変してるよ。早く来い」というから、何かと思って、おばさんについて走っていくと、さっきのラッキーボールのお店で、僕の座っていた台が、券(チップのこと?)で山盛りになっていた。僕が鼓笛隊を見ている間、ずうっと赤ばかりが出ていたわけさ。それで、今度は白に置いたら、白が出る。赤に置いたら赤が出る。それで、「今日はどこに置いても当たるから、面白くないからもう帰る。」といって、両隣のおばさんと、親にも券を分けて、27ドル貰って帰ったよ。

マサおじいのマンネンガイの話

 マンネンガイ(和名マンボウガイ)はとてもきれいな貝。僕は石垣で2回採ったことがある。一回ははじめて採った時で、もう一回はオヤジと採った時だけど、この時はオヤジが(身を腐らせて貝殻をきれいにするために)埋めて、目印もやらんから、埋めた所が分からなくなったから、どこに行ったかもう分からないさ。

 初めて採った時は、白保の今のクロレラの前の所でタコ獲りをしていた時に採った。あそこはシラマー(砂地)していてツブルサー(塊状ハマサンゴ)がいっぱいあるだろ?あそこをいつもの道順で泳いでいると、シラマーに、大きい貝が歩いた跡があるさ。いったんは通り過ぎたけど、「あんなに大きい貝の足跡は一体何の足跡かな」と、とても気になったので、また戻ってみて、跡をずうっとたどっていったら、15センチくらいのみたことの無いきれいな貝がいるさ。口のほうはタカラガイみたいな感じで、だけどもっと平たく広がっていて、線がはいっている。背中には点々と出っ張りがあって、色がとてもきれいさ。「ああ、こんなにきれいな貝がいるものだなあ」と思って、しばらく見ておって、そのまま置いていったけど、この貝のことが気になってしょうがない。そして、もしかして、これは人に聞いたことのあるマンネンガイという貝かなと思って、すぐにまた戻って採ってきたよ。

 おうちに帰ってから、まずはこの貝は家に置いて、バス賃はあのころ13セントだったけど、バスに乗って、桟橋の所に今もあるかわからないが、平良おみやげ屋というのがあって、色々な貝を置いているお店だった。そこへ行って、いろいろな貝を見ていると、あったよ。確かにマンネンガイだったよ。それで、この貝を採ってきたらいくらで買うかと聞いたら、20ドルでは買うよというさ。それで、「ああそう」といって、家に取りに帰って持ってきて見せたよ。そしたら、これはきれいなマンネンガイだなあ。だけど17ドルしか出せないと言うので、さっき20ドルで買うと言ったよというと、じゃあ18ドルしかないからそれでいいかというので、いいよといって売ったよ。

 マンネンガイはショウちゃん(新里さん)も一回採っているし、僕の一の相棒だった、前にも言った、女のことでダイナマイトで自殺した大城という青年も2つとっているさ。大城は一度に2つ採ったといっていたよ。

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